
明治維新、品川宿から北・南品川へと移行した品川地区。街道制の廃止による人口減少、街の経済活動の縮小、土地の細分化といった現象に、新橋・横浜間の鉄道の開設、京浜急行の北品川駅への開通など激動の時代を経て来た品川地区。今また品川地区の北側地域の再開発問題が地域に激震をあたえているところでもあり、昭和40年代にも急激な人口減少、山手通りの開通による旧品川宿の分断、商店街の衰弱などの現象に心を痛めた町会、地域住民、それを支援する街づくりの支援する人たちがいた。挫折の日々であったが、今こそもい一度その活動を伝え、評価し直すことが必要ではないかと、その頃運動に参加した人達はほとんど亡くなられたが、若くして参加した数少な人に講演をお願いした。史談会のメンバーも街の変化を研究してきた研究成果を発表した。
講演会に参加した人の層は多様で、建築家、地元の不動産屋さんなども参加されていた。